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【性懲りも無く】2010春期鉄研旅行記in中国 其の四【続く旅行記】

臆面もなく続きを書こうとする私(2014.03.26)。
書き始めた途端に盛大な眠気に襲われたりもしましたが、私は元気です。 

時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならないそうだけど、我が記憶は時間に裏切られつつあるようだ。
このタイミングが、まともに思い出せる最後の機会なのやもしれないです。

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それなりに早い朝(私はよほど行程が押し詰まらない限り初電やごく早朝の列車を利用する行程は取らない。起きられない可能性を考慮すると、リスクが大きすぎることに気づいたゆえに。そんなわけで朝に余裕をもたせているため、幸い旅行中に寝坊した例は殆ど無い)、重いバッグを片手で引きずりYHからの坂を下り、牛田駅に向かう。

車輪付きであるからまだ楽ではあるのだが、それでもかさばるものはかさばるし、移動を重ねる鉄研旅行では、どこかに放置しておくことも出来ない。とはいえ愚痴ってもどうすることも出来ぬ以上、あまり面倒な階段の上下が無いように祈りつつバッグを引きずるしかない。そのくせまどろっこしいからとエレベーターがあってもあまり使いたがらないどころかバッグを片手にひっつかんで階段を駆け上がったりもするのだから、なんともダブルスタンダードに生きているなぁ自分。

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牛田駅手前の路上にて。何の変哲もないアストラムライン牛田駅の交通標識である。であるのだが、ひとつ気になるになるのは左のピクトグラム。やたらと細かい広島高速交通6000系(もしくは1000系。デザインはほぼ同じなのだし)の絵が描かれており、なんかもうピクトグラムの域を超えている。Wikipediaによれば、「地と図に明度差のある2色を用いて、表したい概念を単純な図として表現する技法が用いられる」とあるが、これは単純な図といえるだろうか。絵心か、税金の無駄か。ファン的にはやはり前者で考えたいし、そう考えても困らない。

ひとまずアストラムラインを乗りつぶすため、終点の広域公園前駅までアストラムラインに乗る。到着した広域公園前駅は新交通システムらしく駅舎も何の変哲もない「新交通システムです」と顔に書いてあるような、いや顔があるわけはないのだがとりあえずそんなイメージを抱かせる高架駅。しかし、私は広域公園前駅を覚えている。内部もホームもよく覚えているわけではないが、その改札の外、コンコースに設置されていた飲料自動販売機をよく覚えている。正確かつ端的に言ってしまえば、そこに500mlペットボトルのMAXコーヒーが置かれていたことを記憶しているのだ。グッジョブ広島高速交通。ありがとうアストラムライン。素晴らしき哉、広域公園前駅。もう何も怖くない。この一事をもって、広域公園前駅はわが青春のアルカディア……じゃないや、わが心に残った駅ランキングに上位ランクで入賞を果たしている。他には、その複雑さが真剣に驚嘆に値した当時の折尾駅とか、駅前交差点に信号があった志布志駅とか、なにも無さが印象的だった甲浦駅なんかを挙げたい。

さて、飲み物がなかったのでMAXコーヒーを一本購入し(二本買いたかったのだが温くなるのでやめておいた)、行き止まりの広域公園前駅から再びアストラムラインに乗車する。行き先は可部線との乗換駅、大町である。アストラムラインの開業と同時開業の駅だけあって案外に小奇麗で近代的な駅舎を通り、1面1線の大町駅ホームでしばらく待つと、広島方から105系電車が姿を表した。可部方面から広島中心部に行く人と広域公園前方面から広島駅に行く人、どちらがよく乗り換えているのかは分からない。山陽本線・可部線とアストラムラインがもう一度交差する白島に新駅を作る計画があるが、白島新駅が出来てしまうと大町駅の存在意義も相当減ってしまうかもしれない。

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降り立った可部駅は、いまだ三段峡方面への再進出を諦めきれないかのような、特徴的な構造の駅だった。2面2線の頭端式ホームに接する形で、さらに先へと無為に伸びる1線の線路と側線群が残る、2面3線の終端駅。どうやら三段峡まで廃止される以前からこの形態だったようだが、それでもなお3番線が残され、あまつさえ3番線の列車のもう通らない部分と側線を越えてゆく構内踏切がある。その線路は三段峡へと結ばれたまま、延々と伸びていく。夏草の線路……と言いたいところだが、まだ春だった。

この旅行よりも数年の後、ここから一駅、河戸までの間を電化延伸し、事実上復活させる計画が発表された。もとより非電化だったゆえに廃止の憂き目にあった一駅分を再開させる可能性は考えられた上で残された線路だったらしいが、それでも赤錆の浮いた線路をそのまま使う訳にはいかないだろうし、河戸駅の位置も変えるとか。しかしいずれにせよ一度廃止された路線が復活するのは喜ばしいことだろう。三段峡までの復活はさすがに望めないだろうが、(事情は違うが)横軽区間をはじめとする全国の廃止路線の復活案の実現の先鞭になってくれるものと期待しておきたい。期待するだけならタダである。長電屋代線とか……ムリダナ。

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可部からはまっすぐ広島駅まで戻ってくる。写真は広島駅での一枚。当時西日本各地で単色化が始まって話題になった、中国地区の黄色の鉄の塊もとい全黄色の電車である。かつての総武緩行の黄色にしてはどうも違和感があると思ったら、やはりいわゆる「黄色5号」より若干濃いらしい。にしても、この塗装だとひと目では113系だか115系だか判断がつきかねるのがちょっと困る。

いまだ朝の11時頃だが、そもそも朝食をまだ取っていないし、これから芸備線で広大な中国山地に分け入るとなれば食事の当ても無くなるだろう。売店で適度な軽食と昼食向けの弁当を買って、芸備線のキハ40系気動車に乗り込む。先輩某氏(後の10年度会計氏)がここから同行程だったが、なんだかんだ合流もせず双方別れて座っていた覚えがある。正直な話、眠かった。

列車は山陽本線から別れて矢賀☆を過ぎ、山野を駆けて三次。キハ120に乗り換え、昔の名残か広大な構内を持つ備後落合に到着する。いまや長大列車の発着することも無いその2面3線のホームは、乗ってきたもの、新見に行くもの、そして木次線のものと、三両のキハ120で埋まっていた。けっこう壮観である。いわば備後のヘビーメルダーか、あるいはトレーダー分岐点か。

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一両編成の列車はみぃ野原駅(not岐阜県)を抜け、スイッチバックの駅出雲坂根へ。駅の上を通過してまずホームのない終端に着くと、運転士が反対側へと移動して運転再開。勾配を降ってこちらも先のない出雲坂根駅のホームに入線する。出雲坂根では運転士の移動時間がある(といってもキハ120の一両だし、運転士の荷物類などを動かす必要もないとなればその時間は微々たるものだが)だけでなく停車時間も7分ほどあったのでホームへ飛び出ていろいろと。延命水を飲みに行ったり、駅舎を見たり。

ところでこの出雲坂根駅、愛称があり「天真名井(あまのまない)」駅という。これは日本神話に登場する高天原(たかまがはら)の神水のことで、その「高天原」はといえば隣の三井野原駅の愛称である。出雲は神話の地ゆえわからぬでもないが、とりあえず高千穂が不憫。この辺りの木次線の駅には日本神話から取った愛称駅名が付いているが、駅舎が立派な出雲三成駅の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」、地域中心の木次駅「八岐大蛇(やまたのおろち)」はともかく、地味ー(失礼)で駅舎も古いままの日登駅(駅名は格好良い)に「素戔嗚命(すさのおのみこと)」はどうなんだろう。仮にも三貴神の一柱なわけで、子孫(大国主)や斬り殺した化け物(八岐大蛇)と比べると……、あんまりぞんざいにしてるとスサノオの嫁である「奇稲田姫」様(出雲横田駅)に叱られるから。うん。でもまあスサノオが地上に降りたのがこのあたり(奥出雲町付近)であるゆえの愛称駅名のようなので、良いか。あまり無粋なツッコミをするのも何であるし。……時既に手遅れ?

このあたりの木次線の線路はひどくくたびれている。というか規格が低い。国鉄時代からして重い蒸機を持ち込めずに別の蒸気機関車を持ち込んでいたというが、キハ120が走るときも30km/h制限などいいほうで、25km/h、20km/h制限という場所もある。速度を出すとその分整備の手間が増えるのも確かなので、木次線が赤字路線なのを考えるとやはり文句は言えない。我々の業界ではご褒美です。面白いじゃん低速運転。
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あまりそんなイメージのない中国山地だけど、あんがい雪は降るようだ。そういえば三井野原にはスキー場すらあるのだ。シュプール号三井野原行きとか想像すると愉快である。しかし、この除雪装置はどのように使うのだろう。レールの上にあるのだから、モーターカーか何かに接続して動かせるのだろうか。単独で動く……にしてはやや華奢にすぎるような。いずれにせよ、除雪装置を前線配備しておくくらいには雪が降るらしい。ついひと月ほど前、2014年初春の大雪でも被害を被り、ついこの間(3/22)までこの辺りが運休していたそうだから相当である。ところで他愛もない想像なのだが、スイッチバック線で下手に除雪すると、だんだん下の線路に雪が溜まっていきかねないような気がする。 そのあたりもいちおう考えて除雪するのだろうな。

木次駅辺りを過ぎると、だいぶ平地を走るようになる。木次でもいちおう10分位停車時間があって、急ぎ駅スタンプを貰いに行ったり。駅スタンプといえば、出雲坂根だかの駅スタンプが押せなかった。確か、駅の人曰く「押そうとしたファンが落として壊してしまった」由。急いでいたのかもしれないが、そういう形で失われるのはぞっとしない。慌てず急いで正確に、を心がけるべし。……むむ、しかし出雲坂根は無人駅だから違う駅だったろうか。中国旅行の際の話なのは間違いないはずだが、はて。とりあえず注意喚起だけはしておく。

かれこれ3時間近くもかけて夕日も暮れかけた頃、木次線は日本海岸へ辿り着く。宍道駅の3番線に到着。乗り換える出雲市行きの山陰本線普通列車までは30分強の余裕がある。自分はほぼホーム上で、待っている間に宍道駅を訪れる「やくも」であるとか「スーパーまつかぜ」(あるいは「スーパーおき」か?)を撮っていたのだが、広島以来ずっと同じ行程だった後の会計氏は「歩いて宍道湖行ってくる」と言い残して去られた。これはあれか、宍道湖と聞いて歩いて参った、というやつか。宍道と言いつつ駅から宍道湖は見えないくらいの距離はあるのだが、乗る列車の5分前くらいまでにはきっちり帰ってこられた。ところで今現在進行形で宍道湖の宍の字がゲシュタルト崩壊を起こしているところである。
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たしかこの列車の出雲市到着、つまり18時半前後が最終集合時刻だったろうか。18時55分に発車するサンライズ出雲が入線していたので一枚。我が愛用のコンデジは平時の持ち運びを考慮してそれほど高スペックではないので、こう暗くなると撮りづらくてかなわない。サンライズ出雲には、つい先日出雲市から乗車したが、岡山以降の乗車も多いものの(かくいう鉄研も岡山~東京間利用が多い)、それなりに寝台は埋まっているようで、まあこの285系が老朽化しないうちはサンライズエクスプレスも安泰だろう。

妙に豪華な屋根のある駅を出て、宿泊するのは駅前のビジネスホテルである。今どきユースホステルの数も減り、場合によっては利用しづらくなっていることもあるのは残念というほかない。何処か忘れたが適当に夕食をとった後、コンビニに立ち寄る。察しのいい人(大抵は部員かOBということになるのだろうが)はお分かりだろうが、なぜかこのタイミングであれをすることになったのはなぜだろう。詳しいことは2010年3月22日のgdgd鉄研ブログ中国旅行現地レポを見て察して欲しい。四人集まって数時間大富豪をやっただけだが。三人寄れば文殊の知恵、四人寄れば大富豪。とんだ大惨事である。

さて、東の国の眠らない夜と言うが、つまり西の国ではちゃんと眠る……のかどうかはわからないが、夜通し大富豪をやっていたわけではなく、適度なところで解散して各自の部屋に引き払った、はずだ。ビジネスホテルなのをいいことにロビーのパソコンを延々弄ってたりはしなかった……と思う。あの頃は若く(中学2年生)、無茶にはだいぶ身に覚えがあるのが怖い所。深夜のテンションでなにをやらかしていたか定かではない。中1の九州旅行など熊本で夜通し10年度部長とシムシティをしていた覚えがあるし、中2夏の東北では二徹してた気がするし。高校生になってからは中学生の元気さが羨ましくて……(以下自身の加齢に関する愚痴が続くので省略

武蔵高等学校中学校鉄道研究部