夜の2時。函館駅待合室で青森行きのはまなすを待ちます。数時間前に通った道を、函館で何もせずに折り返す…。いったい何してるんでしょうか(他人事)。あんまり暇なので、旅行中の出納帳をつけます。

函館駅電光表示板。右は札幌行き、左は青森行きのそれぞれはまなすを表示しています。

青森行きはまなすが到着しました。ディーゼル機関車から電気機関車に付け替えます。
そして夜が明けて、5:39。青森駅に到着しました。

さわやかな朝の青森駅。寒いです。青函連絡船時代を偲ばせる広い構内です。
さてこの後、なんとさっきまで通ってた津軽線で蟹田に折り返します。改めて何やってんでしょ…。

毎度お馴染みの、我らが(笑)701系。右が蟹田行きです。
途中の車両基地に

おや、どこかで見たような…。ともに3月に引退した車両です。

蟹田に到着

蟹田は津軽の生んだ作家太宰治の『津軽』に登場します。当時太宰は青森から蟹田への移動で2時間近くバスに乗っています。蟹田まで開通したのは1951年。現在の津軽線ではわずか40分です。
太宰が青森から4時間かけて到着した三厩。蟹田からわずか40分、ここからは気動車で三厩にむかいます。

昔懐かしいサボを挿した三厩行き列車

こざっぱりとした三厩駅舎。7分で折り返します。
蟹田まで折り返してもいいのですが、せっかくなので、なんちゃって接続駅の津軽二股で津軽海峡線に乗り換えてみます。JR東日本津軽線の津軽二股駅と、JR北海道津軽海峡線の津軽今別駅は隣接していますが、大人の事情で別の駅扱いになっています。ちなみに筆者を含む4人で降りようとしたら、車掌さんに「降りるの!?」と驚かれました。

左上の立派な複線電化線が津軽海峡線、白い列車が走るしょぼい単線非電化線が津軽線です。
だけど時刻表を見ると…

左の青い時刻表が津軽線、右の白いのが津軽海峡線です。なんと津軽海峡線は

1日2本…。乗り遅れたら大変です。下り初電(!)9:05発の函館行きに乗ります。蟹田~津軽今別~木古内間には普通列車が走っていないので、特例で普通乗車券等で特急列車に乗れます。

1日2本の貴重な列車。結構乗客はいました(うち4名は我々ですが)。
今回3度目の青函トンネルを通り、

知内駅で降ります。この駅も、1日特急が上下各2本止まるだけというとんでもない駅です。

駅を撮ったはずなのですが…、JRの表示がどこにもありません。
次の列車を待つわけはもちろんなく、駅前すぐの国道から

路線バスで木古内駅に向かいます。
バスで30分、木古内駅に到着。

絶賛新幹線工事中の木古内駅。
東室蘭まで行った方々と共に、江差線に乗車、江差に向かいます。江差線の木古内~江差間は2014年5月12日いっぱいでの、廃止が決定しています。

左は北海道新幹線建設工事現場、真ん中の列車が江差行きです。江差線五稜郭~木古内間はとりあえず残るため、来年5月で江差線は「江差に行かない江差線」になります。
スーパー白鳥の接続まちでちょっと遅れて発車。旅行風のかたも含め、結構たくさん乗っていました。

終点の江差駅。かつてはニシン漁で栄えた江差町の玄関口。しかし中心部が遠い上に列車も少なく、乗客は減少の一途をたどっていました。
江差では残念ながらすぐの折り返し、木古内に戻ります。
木古内からは

特急スーパー白鳥で一気に青森へ。この列車は知内も津軽今別も通過します。

15:46青森到着。集合まで時間があるので街中をぶらぶらします。
駅近くの銭湯(温泉でした)に入ったあと、元青函連絡船八甲田丸を見に行きましたが…
開館は17時まで、行ったらもう終わってました。残念。

左は青森駅、右がメモリアルシップ八甲田丸です。昔は青森駅からの連絡通路で直接船に乗っていたそうな…。
お弁当やらを買い込み、18時に青森駅に集合します
そしていよいよこの旅行最後の目玉、寝台特急あけぼのに乗ります。

右下があけぼのの案内。

青森駅停車中のあけぼの。関東で見るときとは牽引している機関車が違ったりします。
18時23分青森発。翌朝6時58分上野着まで12時間の長旅です。

これがB開放。カーテンで仕切られてます。寝たまま移動できて、見知らぬ人と話すのも旅の楽しみ…。と思うのですが、プライバシーを求める人が増え、寝台列車は減少する一方です。
弘前、大館、秋田、酒田…。日本海側にはある程度大きく、しかも新幹線が来ない街が多くあります。各駅ごとの乗車は決して多くないものの、最終的に利用率は9割以上になっていました。
ご飯を食べてのんびりして気が付いたらあつみ温泉を過ぎてました。寝よ…。
朝起きたらもう大宮を出てました。

機関車は長岡でつけ替えたそうです。
上野駅到着を以て解散、7日に及ぶ鉄研旅行が終了しました。